2009年4月23日木曜日

教科書協会

教科書会社でつくる教科書協会が、教科書 検定審議の非公開を求めているという報道がなされ、沖縄県内で波紋を投げかけている。検定審議会委員や教科書会社だけでなく、執筆者にも「守秘義務」を果 たすように主張していて、これまで以上の秘密化を進めようというのだから呆れはてる。
 昨年の教科書検定で「集団自決」の軍強制が削除され、沖縄から猛反発がおきた。それを受けて渡海文部科学大臣が、「教科書検定制度の透明性の向上」を検 討することを示していた。それに対して教科書会社の方が、文科省以上の反動的姿勢を示したということだ。これまで文科省へ批判が集中していたが、昨年の教 科書検定問題も実は、教科書会社と文科省の「談合体質」のなかで生み出されたととらえるべきなのだろう。
 そもそも沖縄から反発の声が上がってはじめて、教科書執筆者もことの重大さに気づいたのであり、11万人余が集まった県民大会がなければ重い腰を上げな かったという点で、文科省と教科書会社にどれだけの差があっただろうか。教科書会社の中には、検定意見をふされるまでもなく、沖縄戦の記述を自主的に「修 正」している会社もあった。
 わずか数社で教科書市場を占有し競争が乏しいのだから、会社経営者の間で馴れ合いが生じるのも当然だろう。その中で文科省官僚の意向と政治状況を読み、 教科書記述を自主的に変えていく動きも生じているのではないか。以前にも紹介したが、松本清張は「霧の中の教科書」(初出「婦人公論」一九六二年六月) で、すでに以下のように指摘している。

〈文部省の方針としては、今後教科書会社には認可制を採ると云っているが、その基準は「事業を継続するに足る財政能力及び出版経験」にかけられている。こ れは現在の大資本出版会社でないと、この基準に合わないことを仄めかしている。すでに教科書を五種類ぐらいに限定するとの見解も発表されているので、現在 の百七十二社(それぞれが何種類かの教科書を発行している)が近い将来淘汰されて、弱小資本出版会社は脱落する運命にある。殊に大手と呼ばれる数社は、発 行部数の多い国語、英語の教科書は絶対確保するだろう。群小出版社の生きる道は、たとえば、家庭科、音楽科のような特殊教材に求めるほかになさそうであ る。
 これは教科書販売における独占企業を急ぐ道とも云える。
 大手の出版会社は、それぞれが大資本の印刷会社と結んでいる。また印刷資本は財界の資本を導入しているので、これらが将来結合すると、国定教科書の印刷独占ひいては超安全産業独占への野心が心配されるところだ〉(『松本清張社会評論集』講談社文庫56ページ)。
 
 「霧の中の教科書」を読むと、教科書検定制度が始まった時点で、松本清張はその問題点を正確にとらえていることが分かる。清張は〈教科書の国定化がなぜ いけないか〉を〈私たちは小学校のときに、文部省選定の教科書によって政府の思いのままの思想教育をなされた。それが日本の戦争進行になっても強い批判が 国民の中から起こり得なかった大きな理由である〉(同7ページ)とし、国定化を防ぐために以下のことを提起している。

〈まず、全国の教育委員の任命制をやめて選挙に戻すことで行政の中央集権化を防ぐこと。現在の教科書検定に文部省調査官の影響力をなくし、教科書内容に対 する指摘は、ただ単純な技術上の間違いを訂正させる事務的な面に止めること。更に教科書出版企業の独占化を防ぐこと。それには教科書会社の認可制を止めさ せることである〉(同57ページ)。

 清張の提起は今でも全面的に同意できる。というより、四六年も前に提起されたことが、何一つ実現されないまま現在に至っていることの情けなさを認識すべ きなのだろう。それにしても、一九六二年当時、教科書会社が百七十二社もあったというのは驚く。清張が指摘した通りに教科書の独占化は進んだ。さらに、少 子化にともなって発行部数が減少するなかで、現行の教科書検定制度を守ることで利益を得る文科省官僚と教科書会社経営者の癒着が深まっていはしないか。検 定制度の透明化に逆行する教科書協会の動きを見ると、そう考えざるを得ない。
 昨年の九・二九県民大会で決議された〈検定意見の撤回〉〈「集団自決」の軍強制記述の復活〉という要求は未だ実現されていない。県民大会では同時に、教 科書検定制度の透明化も要求されていた。それに逆らって不透明化=密室化を進めようという教科書協会の動きを許せば、次に来るのは、物言う執筆者の排除で あるのは間違いない。そうさせてはいけないし、四六年前に清張が提起したことを再認識し、いかに実現するかが問われている。